今から数年前のことです。私は縁あって14歳年上の妻とその息子との家族を営んでいました。小さな工房で木製の看板を受注制作していましたが、頭の中には「空間プロデュース」という言葉がいつもあり、それをどうやって実現するかという道のりが分からないまま、実際の収入は妻がふたつの仕事を掛け持ちで大半を支えてくれていました。ある工芸展のイベントに参加したおり、私の話を聞いて「空間プロデュースをやりたいなら椎原 澄さんに会いなよ」と言ってくれた人がいました。
意を決して会いにいったところ、初めて会ったとは思えないうち解け方で私の話を聞いてくれます。そして1時間も話したでしょうか。「そんなに素晴らしい奥さまなら、明日一緒にいらっしゃい」という事で、出張に行っていた妻に、とにかく一緒に言ってくれとあんまり説明もなしにひっぱっていったのです。妻は私と同じように、いえもしかしたら私以上に澄さんと理解しあったかもしれません。
次の日から1週間、私は朝10時から夜7時とか9時までスタジオに通いました。その頃は澄さんのスタジオが近所だったのが幸いでした!ガンを煩いながらまだご健在だった夫の正昭さんもご一緒で、身体に無理が掛かるのではと心配するほど熱心に関わって下さるのです。時には妻も少しだけ参加したり、セッションは対話だけではなく、ひとりで考えるために歩きに出たり、身体を動かす作業の中で感じる事があったり、パソコンで命題を作文化したり、、、バラエティーにとんで時間はあっというまです。ただ私の場合、最初の1〜2日は昔ひとりで放浪のような事をしていた頃の感性が蘇ってしまって現実感を掴むのに大変でしたが、そういう私の状態をきちんと把握して臨機応変に対応してもらったおかげで、次第に地に足のついた実感が起こってきた事には驚きました。
実は澄さんの所にいくまでの私の発想は、1年くらい掛けて自分の家を作ろうかと土地まで探してあったのですが、それが私の場合、自分の世界を狭くしてしまう方向だったと実感しました。知らないうちに陰陽でいえば陰のほうに傾いていたんですね。でも、動き出す時期であったことは確かだったようで、1週間のセッションを終えて妻と一緒に具体的な構想をまとめていくと、思いもかけない方々からの賛同や応援があったりで、最初の発想とは全く逆とも言える広い公道に面した大きな料亭だった所を買い受けることができ、木材そのものを展示してお客様と直接歓談しながら商談をまとめられる広いスペースに作業ができる工房を兼ね、2階は家族の居住空間として充実した私のライフワークの拠点を作る事ができたのです。
実際に自分で全体像を掴んで作業する事で「空間プロデュース」という意味も感じ取ることができました。工事そのものは思ったよりも時間がかかってしまいましたが、この拠点を開店することができたのはセッションから1年とたっていません。
さらに家族としては、息子の父親すなわち妻の前の夫との関係性もお互いの理解が深 まり、息子の成長をそれぞれに見守れる良い関係になりました。残念なことは正昭さんが今は亡くなられてしまった事ですが、澄さんがますま す本領を発揮されていくことをきっと見守っていることでしょう。その 絶妙なコンビが体験できた幸せを感じるとともに、私たちもいつも身近 にいてくれるような気がしています。
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