思い起こせば伊東へ伺い、まだご存命だった正昭さんと澄さんご夫妻との出会いから、私達夫婦は新たに絆を結び直しました。
私が伊東へ伺ったきっかけは、ご夫妻の事を以前から知っていた方の呼びかけで「おもしろい店」があるという事から、俳句をやる仲間や元気な学生たち10名くらいと温泉旅館に一泊の旅でした。
あの頃の私は若い頃からの「自己表現の屈折」みたいなものを抱えていて、長い教員生活と結婚生活と自分の勉強との自己バランスをとるために自力で小さなマンションを買い、週末に家(夫と息子が住む一軒家)に帰るという生活を送っていました。若い頃からの勉強したいという思いと、教員生活の中からわき起こって来た「こんな事ができたら」という願いが頭の中で混沌としていて、出口が見つからなかったのだと思います。ちょうど大学院の修士課程を修了した年の春でした。
そんな私の空気を感じとってちょっと「ガツン」とショックを与えて下さったのは正昭さんでした。私は直観的にブレークスルー(問題解決とそのための秘策?)を感じて、ライブ・セッションを体験することにしました。
今思えば、ひとりの男として出会った博さんだからこそ夫婦が始まったことを私は忘れかけていたのです。博と悦子という個人が夫婦を作っているのに、夫婦であるという事が私を妨げていたのではなく、私の意識が自分の行動を妨げていたのです!
ライブセッションを体験して一番思った事は、博さんにもぜひ体験して欲しいという事で、いま考えるとおかしいのですが夫には直接話せる自信がありませんでした。そこで澄さんがメールで誘って下さったのです。そこで改めて私は博さんの感受性の深さに驚きました。私の心模様をこんなに敏感に感じ取ってくれる人だったんだって。私になんの説明も求めず、しばらくして一緒に伊東へ向かった事をありありと覚えています。
伊東での最初の挨拶で、正昭さんが博さんを人格の奥底まで即座に看破した衝撃は一生忘れないでしょう。夫も、椎原さんと一瞬にして共振していました。
出会いの後すぐ始まった澄さんとの対話は今に続き、その時見いだした自分の種(私という存在の根幹)を育む糧として新たな道を拓き、自分にしかできない生き方に邁進しています。
対話は、私が未整理のまま持っているアイディアや発想を上手に引き出し、私自身に整理させてくれます。私の構想が今、形をなそうとしているのは、澄さんとの対話(明鏡止水の“澄”さんに自分が写るので爽快!!)やメールのやり取りで、現実を見据えながらも、時限の違うところで自分を見ることができたからです。
具体的には、若い頃から研究したかったことの意味は、長い教員生活を体験したからこそ私の中で育まれ続けていたのだと気づいた事、大学院(博士課程)で研究する事をミッションとビジョンとして鮮明かつ具体的に描けるようになり、その為にすべき準備が、博さんとの共同体制で次々と開けて行く事などです。
今、思えば奇跡のような出会いでした。伊東の出会い以降、私はライフワークを実現させるきっかけを掴み、現職のままで博士課程に進むことを実現させようとしています。夫はそんな私を理解し、全面的に協力してくれています。
一昨年の暮れには、何年か後に夫婦ともリタイヤした後の生活が快適で、かつ夢の実現に向かう事を描いて自宅を改装し、マンションは人に貸す事にしました。私は今、私より早く帰宅して主夫の腕を上げている博さんの料理に毎日舌鼓を打っています。休日の散歩やデートを共に楽しむし、彼は趣味である釣りにひとりで専念したり、私も自分の勉強を先に進めるため、昨年の夏は独力で渡米までしました!
いまや、夫は我が家の主夫であり、私という人間のプロデューサーでもあります。アメリカに女性の大統領が誕生しようとする現代にあって、夫と妻の新しい関係において我が家でも相似現象が起こっているのです。アメリカの大統領選はこれからが見物ですが、我が家の今後の協力体制はますます充実していく事を実感しています。それは私の年老いた父(現在は妹の自宅近くにある介護マンションに入居中)との関係にも生かされているからです。これからだって、真っすぐな広い道が完備された訳ではありませんが、私の取り越し苦労癖は霧散し、今この時を生き生きと生きている実感でいっぱいです。
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